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2016年11月1日
猪名川と藻川に挟まれた中州に開けた街である。
当然平坦な土地である。周囲は5.2㎞と5.1㎞合計10.3㎞のランニングコースにもなっており、
川辺の散策は楽しい。自転車で走り抜けぐるっと1周できる。
園田駅近くには下園公園もある。駅の高架下には大きな自転車置場があり、市民生活に寄与している。
駅にはショッピングセンター・医院・飲食店舗が併設されている。
駅を降りて東へ歩いてゆくとフランス料理店 やらグリル、フラメンコのスタジオなどもある。
田能遺跡に抜ける道であろう弥生線を越えて、まもなくその家はある。
スキップフロアになっている3階建の住居である。1階はガレージとDKと和室と洗面、トイレ、浴室である。2階は洋室と2間つづきの和室がある。3階は洋室という構成だ。
大勢が集まって宴会をするにはもってこいの間取りである。
各階にトイレと洗面があるのは嬉しい。トイレはウォシュレット付きである。
お風呂は追い焚きも付いている。1階には小さくはなるが前栽がある。
梅田から10分足らずで着く便利な一戸建て、散歩や自転車好きな人には
たまらない賃貸住宅だ。
2016年1月25日
JR東おおさか線が開通したのは平成20年、関西線(大和路線)との乗入を機にこのあたりの開発が急速に進んだ街である。
元々市の浄水場と大きな町工場とシャープの工場、それに久宝寺緑地の広がる土地であった。
ローレルコート久宝寺はその開発の初期の頃の建物である。
駅舎が新しくなり、高架道路も出来上がり浄水場も建て替えインフラ設備がなされたところにマンションは完成した。
今や当時とは打って変わって立派な街になった。
住友不動産ツインタワーも出来、ショッピング、アミューズメント等々近隣からの集客力も大幅アップ。
生活都市としての街並みをつくってしまった。新しい街の誕生と言っていいだろう。
2015年12月2日
日本の2大離宮、修学院離宮と並んで称される桂離宮。阪急桂駅より北東へ20分程。
桂離宮を望む景勝地にある回遊式庭園と数奇屋風建築の傑作である。特に慣行した建物群はシンメトリーを基調とした世界の建築とは対峙をなす。
最も日本的と言っても良い建物である。
自然に逆らうことなく自然な様に自然であるかの様にした庭園の中に佇んでいる。
日本の美意識を最も良く表現している。
かのブルーノタウトもそこのところにひかれたのではないか。またそのことを感じたものに違いない。
流れゆく水の様に、そよ吹く風のごとく自然というものが形となっている名建築である。
2015年12月1日
高槻から171号線沿って八丁畷交差点を過ぎ約10分、千代田町に古い一戸建がある。
築45年の家を貸したいと言って賃貸されて早30年経つ。周辺は当時とは様変わりである。高級老人ホームはできる。古いアパートは賃貸マンションに変わる。ワンルームマンションも出来た。ここだけは変わらない。
この家には色んな思い出が残っている。修理履歴を見てもそれは良くわかる。
2015年11月26日
mollモールとは遊歩道商店街のことだそうだ。
京阪モール、くずはモールこの沿線にはモールという名のついた商業施設が多い。
道すがら買い物をしたり、食事を楽しんだり人工的に作られた街並ではあるが随所に工夫が見られる。
遊歩道に並べられた店は真っすぐには並んでいない。曲がりくねった道に面した店々はそこにたどりつける。
またしばらく歩くとポケットパークの様な少し広くなった小さな空間を設け、道行く人をあきさせない工夫がある。
散歩しながらそこを歩くことを楽しみながら行き来する。
知らぬ間に駅に着き家路にたどりつくという仕掛けがある。
そんなモールを通って柳の木並木道を抜けたところに一軒家がある。
築6年ほとんど新築の様に維持されたお宅はくずはニュータウンのお隣に建つ。
2015年11月25日
宝塚という街は阪急電車創始者である小林一三さんが開発したと言っても良いところである。
宝塚温泉があり、宝塚歌劇を興し、ファミリーランドを創った。
鉄道を業とした時、市井の人々が楽しめる場所を創造しそこへの交通手段とした。終点にその場所を持ってくればおのずとその途中駅が目に入る。
そして沿線を住宅地として開発する。
今もって行われている開発の常套手段である。
その様な意図で生まれた宝塚ではあったがもう1つその南側に宝塚ホテルをつくった。
六甲山系の一番東側にあたるその場所は登山するにも適した所である。
この宝塚南口駅から5分ぐらいであろうか少し坂を登ったところにその館はある。木造平屋建93.25㎡敷地も広く384㎡ある。
南側に隣をさえぎる様に大きく伸びた木々が繁っている。東に目をやれば遠く宝塚市街から北摂山系が望める。
夏の花火大会をテラスからもリビングからも見える。
少し傷んでいた家をよみがえらせた後、素晴らしいロケーションに魅せられここの住人になった写真家は仕事にもこの家何度も撮影したという。
良き住人に恵まれたこの家は、オーナーの転勤で貸したいという願いをかなえやがてその一生を終えようとしている。
この家で出会った人々とともに最後のフェアウェルパーティーが先週行われたのであった。
2015年11月12日
天王寺で近鉄線に乗り換えて13分程で藤井寺に着く。大阪駅からでも40分もあれば着いてしまう。
大阪平野から奈良へ抜けようかというところに在る。
かつて奈良法隆寺と四天王寺を結んだ街道が近くを通る。文字通り奈良から流れる大和川も同じ同じ様な道筋をえて大阪湾へと流れ込んでいる。
2015年11月11日
大阪平野を南へ、臨界の南海沿線とは別に高野線が南東方向に走っている中百舌鳥(なかもず)駅から。
大阪市中心部と泉北ニュータウンを結ぶ要となっている泉北高速鉄道が施設されている。
北の千里ニュータウンと並ぶ大阪のもう一つの巨大ニュータウンである。
沿線の光明池駅から14分のところに建坪45坪と土地98坪の一戸建がある。
6部屋とリビング・ダイニング。6帖が3部屋と8帖が2部屋、9帖が1部屋と各部屋は広い。
本格和室、縁側、床の間、堀こたつ付きである。
ガレージは1台。南向き。
西側には公園が広がる。公園を抜けると駅前に通じる。